詩人と哲学者

まだ、書きたいことがあるけれど、書くに先立って考えないといけないことの方が多い。自らの詩論に泳がせてある問題は、もしかすると泳がせたままのほうが良いかもしれないが、ぼくは詩人でありながら、詩の哲学者でもあるから、矛盾を遂行する運命にある。実は、ぼくは世にも美しい矛盾を作品に落とし込もうと必死なのだ。その構造をひけらかすことは、詩人のクビを絞めることになるのだが、詩の哲学者としては、その解明は本望である。詩は自由の形式だから、闇雲に御託を飲み込んだとて、知性はお腹を下してしまう。言うなれば、読者はグルメでなければいけないが、読者も哲学者同様に、種明かしにも興味があるから、ぼくはその種明かしが自由を剥奪しかねないと怯えるわけである。でも、いまいちばん怯えていることといえば、詩的言語に人々の関心が希薄である点だ。詩の価値を普及させる、詩のビジネスが飲食のビジネスのようにあれば、その折りに、日本人の日本語は、美しくも強くもなるだろう。だが、英会話が価値の先頭にあり、憧れの対象になっているギブミーアチョコレートならば、言葉の減退から、感受性の減退も催しかねない。そして、問題がもうひとつ。ぼく自身、詩の魅力を普及させるだけのプレゼンテーションをやる力がまだ無いということ、である。

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