画家は既に画家

こんなにすがすがしい日差しにも、遠ざかる余韻を離せずにいて、夢のなかのできごとを君は実は知っていたりする。錯乱して成立しないちぐはぐなやりとりに、情景だけは恐ろしく静か、音のない景色なのでした。ひとつは、風車の絵です。気を失いそうな白と薄い黄色。ハハ、君は物を見てちゃんとデッサン出来るのに、ポエジーがないから、イメージが墜落しちゃっているんです。画家はね、少なくとも、既に世界を掴んで、そこで暮らしているものですから。わたくしは、その國に来れる人としか交われません。ともすると、星の王子様の、あのモノローグのほんとの意味がわかるかもしれません。この第三次世界の謎を、文学と夢、幻想のほかに、なにを頼りに情緒を獲得するか?それは、音律でしょう。色盲に色を充たせない人に、世界を任せるなんてつまらないことです。台風には目がありますね。あの3.618の黄金律のアレですよ。どうして、あの中心を人は目と呼んだのか。そこが晴れているからでありましょう?なんせ、晴れ間こそ認識に似つかわしいではありませんか。そこで、絵画にも必ずや目があるとわたくしは踏んだのです。だから、シュルレアリスムやキュビズムは決して、誤ったものの見方ではなく第三次世界の認識の(拡張の)帰結だと思うのですが如何ですか?しかし、美術館に行ったところで烏合らは、その國に辿り着けずに、眉をひそめて、首を傾げて、売店を物色して、お茶をします。そこでは、美術館に来たという事実のみが大事なのであります。しかし、苦悩の断片は確かにお茶の間を濁します。ですから、烏合らは常に社会的なエーテルをすべからくまっとうしているだけなので、わたくしは、それについて非難は致しかねるわけですね。ついては、幻想界に理解のある方のみ、わたくしの心に重なり溶けてほしいのです。ハシリツヅケテカガヤイテ追いかけてください。すぐに見えなくなってしまうから、掴んで離さないでいてください。宇宙へ続く汽車は、待ってはくれませんから、乗り遅れた人たちは、これから何世紀後までも個別の、しかし画一的な画面で、演じられたデータをごしごし我が身にこすりつけるでしょう。わたくしたちが終始追い求めていたのは、そんな澱んだまなざしではなく、美しい地獄だったのです。しかし、古来よりそれを地獄と言ってはいけませんでした。けれど、わたしたちは幻想界の車窓から、判然と、美しい地獄の予言を、手渡されてしまいました。

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