「今」

11月になりました。すこし寒くなってきました。秋と冬の中間のような気候です。夏と冬では、冬が好きです。2月生まれだからでしょうか。

毎日はまたたくまに流転しますが、やり残したことは数多くあります。こうして、次々とやり残しを増やして何をやり残したのかさえ忘れていくのも悲しいものです。読み残した本が狭い部屋には積まれていて、せめてそれだけは年内に読み終えたい。読書がしやすい季節ですから。

上京してから8年近く経ちます。なんとなくこれといって確固たる目標がなく、気の向くままに生きてしまいました。

ただ、今年1年に関しては、転職をしたり、引っ越したり、そのほか諸々、プライベートでは積極的な変化を試んだ年ではありました。ようやく、自分の体重を自分の力で支える感覚がわかってきた感じです。

いわゆる「普通」を一通りやってみて、やっぱり、このまま周囲の価値観に照準を合わせるのは退屈と苦痛の我慢が強いられるのだと認識するに至りました。「つまらない・くだらない」のワンセンテンスに尽きます。

よほど鈍感に自分の感受性を駄目にして(耐えて我慢して)、生きていくか
耐え切れず、ストレスに潰されるか、体を駄目にするか。
あまりよい未来を仰げないのは明白です。わかっていて、変えられないのは愚かなことです。

なので、2015年に向けて、というよりもオノツバサというそのものに向けて、根本的に生きる指針を問いただそうというこの頃です。ぼくは、まじめなたちですが、そんなに立派だとは思えません。今までやってきたことを振り返っても、ろくでもない履歴が残っているだけです。おそらく、だらだら生きき続けると、このろくでもない履歴はいっそう巨大化します。この「つまらない・くだらない」の履歴が。

あまり将来のことを考えるのも毒のような気さえします。
なにしろ、どうなるかわかならいのだし。50年後に東京に今のような冬がないであろう未来に。年金などすずめの涙ももらえないであろう未来に。そこに「つまらない・くだらない」履歴の連続性を見据えると、目も当てられません。

ひどい厭世観に反吐が出ます。つまり、それだけで毒です。

なので、もう少し将来のチューニングをポジティブに合わせたい。(すくなくとも毒にならぬように)

ぼくは、未来というのは、宝くじみたいなもの位に考えています。
要するに、どうせ当たらないだろうけど、当たったら嬉しいな。当たったら、こんなもの買って、こんなことしようと、夢を握り締める程度です。

そして、未来を手に握り締める自分には、もっと切実な現在があって、現在がいちばん価値のあるものだと考えたい。
なにしろ、現在はいつでもいちばん新しい。未来どうするかよりも、今どうあるかということが、いつでも自分の人生全体を現しうるものだと思うからです。


オノツバサは「今」を100パーセント生きたい。
そうすれば、やり残すというかなしい感覚を払拭できる気がします。

そのためにはどうすればよいか?次回までの宿題です。

著者