くまなく世界を飲み込んで組成した入り口から飛び込んで、そしてまた

インプットとアウトプットなら、断然アウトプットが割合多く二対八くらいか。もっとも、この二割というのは能動的なインプットである。無意識のインプットをカウントするなら、割合は逆転する。(水面下で多くの情報の下地が組成されているのを見過ごすわけにはいかない。)或いは、自分がアウトプットした表現さえ、今一度ひとつの表現物として、(逆輸入みたいに)向き合ったりするわけだから、それも加味すれば、ほとんどがインプットの生活のように思えてくる。

何の気なしに生きていれば、こんな具合に期せずしてインプットに蹂躙される日々を過ごすことになるだろう。煩雑な情報の渦に呑まれながら、表面的に知ったように生きるのだ。

けれど、快活な人や知性的な人、平たくいえば魅力的な人というのは、このインプットの洪水を首尾よく治水しているように思う。要らない情報は遮断したり、受け流したり、押し返したり、やり方は様々。また一方で有益な情報は普及させ、或いは作品として結晶させたりする。(ぼくたちが希望するのは、この手のアウトプットだろうけれど)

もし、このような魅力的な所作が出来たならどんなに素晴らしいことか。消化の悪いものでも(毒でさえ)栄養に換えてしまう胃袋のような脳を作りたい。それは、おそらく不可能なことではない。

著者