「世界」という語を好む白痴たち

「世界」という語の使用を躊躇うのは、この語に頼り過ぎた為、これ以上使うのをダサく感じるからです。


特に男性はこの「世界」という語を好んで用いるようだし、現にぼくもだいぶ使い古した。それだけ使い勝手が良く気持ちのよい使用感を伴うのです。


そのぶん、その語の利用は元も子もないほど空虚なものです。なんならできる限り使うのを控えた方がよい。

「世界」という語を使わないで当の「世界」の中身を、紡ぐ努力をしなければなりません。「世界」という語は、印象値が高く純抽象的概念で、言ってしまえば、「世界」の利用は「神様」の利用となんら変わらないほどです。

宗教家にとっての主語が「神様」なら、詩人にとっての主語は「世界」なのです。しかし、それは自明な(分かりきっている)事柄なので、その語を使えば使うほど書き手のアタマの悪さを露呈することになります。小さい子の作文に「ぼくは、ぼくは」とやたらに「ぼく」が出現するのと似ています。

「世界」という語の容量は、自由であり且つ無限ですが、その内実の拡張(すなわち表現の鮮度の臨界)を目指すのであれば、新しい語感によって言い換えることを肝に命じることです。

著者