尊い

人前で演奏をする人は、自分の音楽が素晴らしいと心から思っていて、多くの人にその素晴らしさを伝えたいと思っている。それを悪びれることなくひょうひょうと確信しているのだから、見る人が見れば「こいつ頭いかれてるな」とか「ナルシストなんじゃないか」と感じるかもしれない。表現は、自分を出てしまえば、受け手のものになる。だから、何を言われても、それは一意見としてやはりひょうひょうと受け止めるのが道理のように思う。しかしながら、作者として、狙い通りのレスポンスを欲しているし、そのように評価されたいと願っている。自らの絶対軸と相対軸が噛み合うことを望んでいる。そのためには、自らのひとりよがりの幻想のコントロールと、生身の人間を数多く知るに限るように思う。ここまでは、凡庸な考えで、誰しも考えていることだ。理詰めで考えると、表現は忽ち退屈になって突き抜けはしない。ぼくは表現は、突き抜けないとあまり意義を感じない。表現の面白さを感じない。ああ、こういうテンプレートのやつね。というのは、合目的的ではあるけれど、潜在的にぼくらが求める鮮度からは程遠い。プロとしてお金を稼いでいる画家や演奏家や文章家は、必ずしもこの潜在的にぼくらが求める鮮度をクリアしているとは限らない。ともすれば、表現のプロであっても、企業のサラリーマンと同じようなニーズに応えることお客様第一で、自己表現なんてちゃんちゃらおかしいという考え方も珍しくはない。あるいは、それが主流だとも言える。究極的な自己犠牲(滅私的に)のうえで活動している方々はそれはそれで尊いと思う。

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