尊い-続き-

ぼくはかつてミュージシャンになろうと思ったことがあるが、音楽でお客様第一をやるという相対軸と、自己表現という絶対軸の折り合いがつかないことを悟って、職業ミュージシャンを目指すのを早々に断念してしまった。それは、自分の着地点を絶対軸にしか認めない頑固な考えがあったからだ。したがって、それ以降のぼくは絶対軸(安っぽい言い方で言えば自分の世界)のみを信じることにした。表現は一億パーセントわがままで構わないし、それがなされていないものを軽蔑するようになったのである。作品は純度を通して感動を生むからだ。そうして、自分の個人的な表現は、人知れず保存されていくが、世の中に発表しない限り、それは卑小で尊さもない。純粋なオナニーこそ尊い。純粋で個人的なものは、きっと万人にデジャヴを呼ぶ。そのオナニーはプリミティブであり、そしてそれは、詩である。尊いオナニー芸術。それをひょうひょうと発表する。やはり尊い。赤ん坊が息をするように尊い。コールガールのソーネチカのように尊い。中原中也のように尊い。尊いものにはひれ伏すしかない。ぼくは、あらゆる尊いものにひれ伏している。

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