詩の思想

お腹が空くとごはんを食べなくてはなりません。ごはんを食べなくては生きていられないからです。お腹が空くのは、〈生命の小さな危機〉ですが、お腹が空くことは至って健康で正常な証拠です。このように死と生のせめぎ合いは、生まれてこのかたまったき日常であり、生は死の〈アンチテーゼ〉です。したがって、生きる意味を問われれば、〈死なないこと〉が目的であり、また〈生きることそのもの〉が生きる意味と言い直すことができます。これが、よく言われる〈生存本能〉の解釈と言えるでしょう。その見方からすれば、わたしたちの行動の根本的な動機は、〈死への恐怖とその対策〉から派生していると言えます。そのため死への恐怖やそれに準じる物事が、わたしたちの気分を圧迫するのは理に適ったことです。わたしたちの安定的な生を脅かす事物は、〈敵〉です。一方、わたしたちの安定的な生を守る事物は、〈仲間〉です。敵でも見方でもない事物は、〈舞台における素材、エキストラ〉のようなものです。わたしたちは、素材の中から仲間を見いだすこともできますし、また敵を見つけることもできます。わたしたちの認識力次第で、この世界の捉え方を変えることが可能です。それぞれの世界の捉え方は、一般に〈世界観〉と呼ばれます。それら個々の世界観の集合体は〈イデオロギー〉と呼ばれます。世の中には、さまざまな〈世界観〉があり、〈イデオロギー〉が存在するので、それらの衝突や対立は不可避です。したがって、喧嘩も、やはり、不可避です。そうすると当然、〈戦争〉も不可避と言えます。人間の歴史上、戦争がない時代がなかったことが、それを裏付けています。つまり、語弊を恐れずいえば、〈戦争も日常〉と言えなくはないのです。戦争は生死をかけて戦います。つまり実質、生存本能に依拠します。個人の生死はもとより世界観やイデオロギー、国家の存亡まで、戦いのスケールはさまざまです。戦いには勝ち負けが伴い、勝ち負けのない戦いは既に戦いではありません。すると、端的に言えば、わたしたちの生は〈戦いそのもの〉です。戦いにおいては、勝てば官軍であり、勝ったところに現実があり歴史があります。反対に負ければ、敗北し、消えていきます。〈弱肉強食〉とは言い得て妙です。これが、あまねく世界の基本的な原理と言えるでしょう。したがって、生きる目的は、正確には〈生き続けること〉です。そのためには〈勝ち続け〉なくてはなりません。そうしたうえで、わたしたちは〈どのように生きるのか〉(どのように戦い勝つのか)という問いを持つに至ります。それは一般に〈倫理〉と呼ばれています。倫理つまり道徳は知性を持った人間特有の性質で、それが人間とほかの生物との決定的な違いです。わたしたちは、ただ勝つ(生きる)ためだけには必ずしも価値を感じません。勝つ(生きる)ために手段を選ばないことによって心を痛めたりします。弱肉強食は、自然界の掟ではありますが、それは平たく言えば動物的であり、人間的ではありません。〈人間的な世界の目指すところは、理性による戦いの平定〉です。しかし、仮に戦いが平定したならば、戦い(生きるという本質)が終わるので、それは〈生の終了〉をも意味します。このように人間は、ある意味、〈生の連続〉を求めながらも〈死を目指している〉という矛盾を孕んでいます。ただ単に動物のように戦い勝つ(生きる)のではなく、人間的にどのように生きるか(どのように死ぬか)は、倫理の先の〈超越論的領域〉にあるより抽象度の高い、〈宗教〉と〈美学〉によって検討されます。得てして、人間の認識には、〈より善く〉、〈より美しく〉という意識のアンテナが未然(アプリオリ)に備わっています。そのアンテナの隣接する部分に〈芸術〉があり、更に、その先に〈詩〉があります。音楽や絵画や彫刻など、芸術は、美しさの本質を〈プリミティブ〉な次元で認識し、形式的に表現します。プリミティブというのは、〈形式以前〉の捉え難きものへの直接交渉を対象とします。それを掬うのが〈詩〉の本分ということです。それは〈形式以前〉から〈形式以後〉への翻訳(変換)と言い直すこともできます。

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