詩と音楽

形式やモチーフはどうあれ、音楽がおいそれと詩をやってしまえることが多いのは、言葉の障害なく物事態に辿り着ける所以だ。

詩は、文字より意味の表明をして一部音楽になりながら、物事態へと番うわけだから、よく云えば高度、わるく云えば、音楽に対して劣勢である。

詩は、音楽を目指しているが、一方で音楽の方は詩を希求している。
音楽の注釈になるのは、詩が音楽を帯びた時だけだからである。
音楽だけでなくあらゆるものに、詩は求められる。

・絵画の注釈になるのは、詩が絵画を帯びた時だけである。

・造形の注釈になるのは、詩が造形を帯びた時だけである。

等々。

詩的認識がなければ、表現は成立しない。

では、詩的認識とは何か?

ぼくは仮に物事態とかイデアとか本質とかを瞬時に捉える類の認識としようと思う。

ともすると詩情(ポエジー)とは、魂のデジャヴである。

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