神がいなくなった資本主義

元同僚が外資系の生命保険に転職した。外資系は、財閥系よりもニュートラルに思う。どこが悪いとは言わないが。
人生のリスクを考えながら、未来設計における保証を掛ける。その発想自体、おもしろいし現実的だと思う。
一方で、保証されているものなどひとつもない世界での、あらかじめ決められたルールの中で、定められた保証だということも、前提として見抜かなければいけない。
極端な話をすれば、
生命保険会社は潰れる可能性もあるし、保険会社を保証している信販会社は誰が保証してくれるんですか?というふうに、保険の保険のそのまた保険って感じに保険のいたちごっこは考えられる。(じゃあ、保険って何?→結局、安心を買うんじゃないの。→そりゃ、資本主義ですから当然。)
これは、確かに極端な例だけど
彼らが引き合いに出すのも、いつ死ぬかわからないという、極端な例なのだ。
彼らは極端な点と、日常との整合性を高める論理を探求している。(そりゃ、商売だから当然…。)
でも、需要があるのだから、人々がそれだけ自分の存在のための保証が欲しいということなんだ。
保険屋と金融屋、この二つは特に、ユダヤ的だと思う。
しかし、神のいなくなった資本主義というのは、在る意味、本質的に末世な気がしないでない。
世の中、終わっているという感覚である。ぼんやりとした憂鬱。
死にたくなるのもなんだか分かる。

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