詩は黒歴史?

昔は詩を書いていた人っていうのは、結構たくさんいる。そういう人の多くは、それらを「黒歴史」と形容して嘲ている。
破いて捨てたり、燃やしたりと、その詩の扱われ方は、ひどいものだ。かたや、ぼくは詩を人前に晒し、詩集を刊行し公然のものへせしめている。その温度差は歴然だ。多数派が詩を黒歴史と捉えようものなら、ぼくのやっていることは、狂気の沙汰に他ならない。

昔の恋人との写真や思い出の品を破棄したという話は、その辺に転がっているが、それと同じように詩が扱われているのかもしれない。
いくらそれらを隠蔽しても、人間として経験が刻まれた存在が現に生きているとあらば、(その理屈からすれば)本人自身を抹殺しなければ済まないのだけれど、さすがに本人自身死ぬのは気が引けるので、藁人形に釘を打つように自らの分身である詩を抹殺するのだろうか。

逆に彼らのその個人的な黒歴史を公然にすると、リベンジポルノや公然わいせつなどのような社会問題になりかねない。
あるいは、きわどい所で私小説家として脚光を浴びるかもしれないが。

そういうわけか分からないが、ぼくは時々、「キミは変態だよね」って、当たり前のように言われることがあるが(否定はしないけれど)、些か心外な部分もある。

ぼくは、詩を感情のはけ口のツールに貶めたくはない。いみじくも、それをやってしまった事実こそ黒歴史なのだ。性質上、詩は感情のウェイトは少なくない分野だろうから、感情を出すこと自体にはなんの問題もない。

問題は、何事も本質が見えているか否かにかかっている。
詩は美を目指している。詩は醜悪なものさえ時に飲み込みながらも、やはり美を目指している。
その地点が見えていないなら、それは黒歴史だ。もっと言ってしまえば、それは詩ではなかったということだ。と思わないではいられない。

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