反骨はことさら静かに

大学時代、就職活動をしなかったし、勤め人をやろうとも思わなかった。哲学をして、詩を書いていた。
そうして、野垂れ死んでいくのだと思った。
友人も同じように思っていたというから、ぼくがライブバーを二回潰して、路頭に迷っていた頃は、絵に描いた詩人的生き様の具現化のように見えた。
それから、印刷会社や清掃会社などまっとうな勤め人に転身を図った際に「らしくない」と過去を知る面々から、「オノツバサが挫折した」と散々な言われようだった。
今では、営業職にあるので尚のこと、「本来あるべきはずの姿(?)」と完全に逆行していると指摘されることもしばしばある。
その指摘はだいぶん的を得ていて、営利目的と不可分な言葉を使うのは、詩人として背徳感がないわけではない。
しかし、営利目的の言葉の運用を深めることの反動のおかげで一層、純文学の尊さと脆さを身を持って知れた。
自戒を込めて書くけれど、ぼくはオノツバサを挫折したわけではない。
生きていくために最低限の社交辞令と方便に身を包んでいるだけだ。
ぼくの純粋さは保存される。
詩人としての認識主観を怠ることはないし
したがって、今ある組織や常識を、淡白に洞察することを辞めない。
盲信することで奪われていくのが、被支配だ。
ちっぽけな世界に言葉尻を合わせても、内心舌を出して笑っていることも少なくない。
その程度、平気でこなせなければ話にならないような気もする。
時代や環境に当然のように翻弄されながら、自らの五感、六感からセンテンスに落とし込むことに、ぼくは生きるアートを感じるだろう。
それが、ぼくの本質的な頼りとなると思う。

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