ロマンチスト

あたたかいような、さむいような静謐が辺りに細やかにあります。
昨晩は美味しい日本酒を飲んで、酔っ払って赤ちゃんみたいになりました。
みんな赤ちゃんみたいになればいいのにと、朝方、しばらく思いました。
会う人会う人に痩せたと言われます。体力のない者にとっては、由々しき事態です。
気候が秋めいて漂ってきたのを見つめていると、不意に泣きそうになるのです。年寄りのようで可笑しい。
赤ちゃんと年寄りの往復の中間にぼくの生活はありますから、そこで綴られるものは、たいがい浮き世離れして見えるかも知れませんが、近しい現実にほかなりません。
人肌恋しい風が通り過ぎ、なんでもないことで心がキュッとなります。
昨晩の、自分の発言で、気にいったものがあって、「ロマンチストは、ストイックでならないといけない」っていうフレーズ。しばらく、座右の銘にします。
詩を書きたいのですが、果たして思うようにたくさんは書けないものです。
爪を切るのと似ているところがあって、そんなにたくさん書けるものではない気がしています。
ただ、この肉体や心の動きに対して誠実であろうと努めれば自ずと、ベクトルが新たな時間軸にさしかかる折、言葉を欲するでしょう。
読みかけの本は埒があきませんが、それは洗濯物がなかなか乾かないのと同じようなもので、次第に生活そのものに事象が溶けていきます。
ぼくが書くことは、殆どすべてある種の告白で、おそらくは、あなたの中に存在したいという主張なのだと思っています。
ぼく自身も潜在的にそう主張しているでしょうし、ぼくが書いている情景や静物も、きっとぼくを通して存在を主張しているのだと感じます。
表現を、本質的に問いただしていくと、自分というフィルターからは常に汚れや厚みを削いでしまい、脆く薄い膜になっていかねばという意識に向かいます。
したがって、ぼくが痩せるというのは、先細りしているのではなしに、純粋認識主観への体現だと言えなくもありません。
しかし、そのような脆さはどこか晩年の寂しさとリンクしていて、年寄りじみているという指摘も言い得て妙です。
けれど、年寄りじみているくせに性欲は明瞭りあって、常に赤ちゃんが女の子のおっぱいを探すように、やさしく柔らかいものに終始しがみついていたいのです。
世界のはじまりと、世界の終わりの真ん中に感性があり、それを出来うる限り余さず捉えていたいのです。

著者