人類にとって良い音楽

こないだ、オヤイヅくんとこんな話をした。
それは、音楽(芸術)の良さには二種類あるという説について、だ。
ひとつは、耳に良い音楽、もうひとつは人類にとって良い音楽である。
耳に良い音楽というのは、ビートやメロディーが優れて耳なじみ良いもの。
人類にとって良い音楽は、必ずしも耳に良い音楽の要素が入っているわけではないが、その作者の生き証拠となる音や旋律がリアルに刻まれているもの、だ。
理想は、そのふたつが満たされている音楽であり、それが少なくともぼくらが言う「良い」音楽の良さの共通認識だという結論に至った。
人類にとって良い音楽という語彙は、オヤイヅくん由来なのだけれど、とてもしっくりきて気に入ってしまった。
音楽に限らずだけれど、気味の悪いものを描いた不可思議な絵画やテキストでさえ感動をもたらすことはある。
いや、むしろ、それらの気味の悪いものはいつの間にやら美を見いだせるように、ぼくら人類に促してしまいさえするのだ。
ゴッホもムンクもピカソも、今や疑いなく美しくなってしまったのだ。
在る意味、客観の美意識さえ、新しく仕向けるに足る力を持つ作品を、たとえば天才性と呼んでもよいだろう。
それらは、もはや常識的ではない。常識は肩すかしを食わされ、えもいわれぬ不可解なシグナルが、判然と眼前に響いてくる…。

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