もし、単にお金を稼ぎたいなら、もっと良い働き口があるだろう。
パソコンひとつでネットビジネスにいそしんでいる連中もたくさんいる。そっちの方が稼ぐのが楽だとかうんたらかんたら。
師走に入って年末ジャンボに並ぶ列を見る。夢を買うとか、うんたらかんたら。
宝くじ10億当たっても、使い方などわからないだろう。
そもそも、自分の生き方もわからない人間がほとんどなのだろうから。
どちらかといって、ぼくは充実に飢えている。
与えられるでなく、能動的な充実に、だ。
ぼくが、かろうじていまの仕事が続いているのは、自らの生活の充実に弾みをつけてくれる側面があるからにほかならない。
子供は、学校に行き大人は、職場に行く。これは、当たり前なようだけれど、もし、それらが自分の生きる足かせでしかならなくなったら、学校も仕事も辞めてしまえばよい。
学校で学ぶことがなくなったら自主退学すればよいし、会社で稼ぐ必要がなくなったら自主退職すればよい。
フランス国王ルイ14世は、自分が国家だといったとか。自分が国であるといえるくらい自分で自分を守れる力が欲しい。
現代の労働階級は、かつての奴隷だという人がいる。鋭い指摘だ。奴隷は、王やその国の従者だから。そして、それを当たり前だという常識から自ら出ようともしない。したがって、奴隷はしかるべくして奴隷になる。逆に、王もまたしかるべくして王になる。
ぼくは、極端に小さいけれど、ぼく自身が国だという旗印を携えている。ぼくを変人呼ばわりするやつらは決まって、自らの旗印を持たない奴隷である。
ぼくの国では、いまの職場と貿易関係にあるに過ぎないのだ。そして、ぼくの国はまだ弱小であるから半ば職場の属国のようになっている。
独立国としては未成熟なのは事実である。
しかし、ぼくが王であるのも事実である。
自分の内在的な充実というのは目下この独立運動を一部指している。
もっぱら形而下から形而上へ概念を抽象化し、それを再び形而下に落とし込み、配置するという営みを日課としている。
これが、ぼくの詩の国である。芸術の国の仕事である。
このことを理解しない人は、ぼくの営みを趣味だと解している。ピントが外れているが、そういう人に訂正を入れるのは限りなく骨が折れるから放置している。
ぼくの国を理解し、入国する人が最近増えてきた。
多くは他の国の王だけれども。

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