大人の自由

生きていると揺らぎというのを感じる。

気丈でいようとしても、ちょっと油断すると、ヘナヘナと気持ちが窄んだりする。

書きものをしていると、そういういちいちが材料に見えてしまうから、生きていることそのものがネタのように思えてきて、ふと主観から冷めてしまう。

ぼくは、客観的な幸せ感を信じていない。

客観的な座標は、ただ世間のかりそめの立ち位置に過ぎないだろうから。

だけど、この客観的な座標が一定の割合で、主観的な幸せ感に影響を与えてくることは確からしいと考えている。

つまり、自分が単にどうなのかというのとは別に、世間の中でどうなのかということが、自分の卑小さだったり、恵まれていることだったり、諸々を教えてくれるのだ。

自分勝手な世界が許されている創作の世界でさえ、それを見つめる自らの客観的視線が、その身勝手さを牽制するのである。

それは平たく言って自由ではない。

結局のところ、それを乗り越えた満足のいく境地を、なんとなく自由と位置づけて憧れを抱いている。

子供の自由とは、ちょっと事情が違う。いや、大した違いはない。

著者