ぼくの抒情詩

小さな時分より、コトバは人に伝えるために在り、人に分かりやすく伝えるにはどうすればよいか?ということを教えられた。

そのため、誰が、何を、どうした、というような分節が大切であった。

論理的なコトバが、もっとも端的に目的を伝えるのにおいて有効だと思われた。

 

しかし、ぼくが詩で行おうとしたことは、それに反することのように思われる。

いや、そもそも詩のコトバの性質の前提として、目的がないことが大きい。

利なる情報ではなく、概ね、あってもなくても良いコトバの類が詩だからだ。

 

逆に、目的のためのコトバの書式が、誰が、何を、どうした、であるならば

詩でそれをやることは直ちに、詩としての失敗にもなり兼ねないという次第である。

そこで、ぼくは詩を作る際の主語、主に「ぼく」や「わたし」に注力した。主語を用いるとある程度簡単に抒情詩になり得たが、近年の自分の詩作においてはそれを徐々に遠ざけようと恣意した。

 

絵画において、主人公の人物を画面の中に描くか描かないかで、作品の質感が大きく変わるのである。また、主人公の全部は描かないまでも、身体の一部を描くことでまた違った効果が生まれることにも気づいた。

そうして目指していたことは、主語をなくした文体で抒情詩を書き上げることだった。

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