詩の美学

わたしは分からない。触手のはずのコトバにたぶらかされて。コトバが先に存在することはなかったろう。現に呪術のようにわたしたちは何者かによって促されている。そしてコトバの匣にはまって一生を終える。与えられた鉢で植物の行末が決まるように。わたしたちの世界はそんな陳腐な収まりを望まない。

 

詩のような体裁を整えることは容易で、それっぽいものは誰でも作れる。概念としての容器から中身をほじくり返せば済むからだ。帰納法は説明的になりそこに詩の本分を見ない。むしろ既存の概念を持たないファジーな着想から出現させていく過程が詩の領域だと思う。解釈の名辞で蓋をして作品は出現する。

 

短歌など制約のなかで表象を著す処に既に型が存在する。文体を崩す類の短歌は型破り。一方、詩は自由故に形無からのスタート。その意味で定石を自ら生み出す気概はある。しかし、受け手が新たな定石のチャンネルを持たない場合、作品が存在しても見ることも聴くことも触れることも本質的には出来ない。

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