詩の哲学

哲学者は詩人の言葉を使って世界を説明する。実学者は哲学者の思想を用いて物事を推し量る。政治家はより実利的に理念を利用する。経営者は一層、実利に重きを置く。そして個人一般は反射に即して生きる。詩人、哲学者、実学者、政治家、経営者、個人一般。それぞれ、二等親までが関心の範疇となろう。

音楽家はわざわざ詩を書かない。音楽で詩が行われる。画家はわざわざ詩を書かない。絵画で詩が行われる。一方、詩人は音楽を作りたいし、絵画を描きたい。そうやって、音楽家や画家の姿をした詩人が存在する。詩は、佇まい(雰囲気)の設計図であるが、音や色のような物理現象ではなく概念に過ぎない。

詩が、文字という概念において佇まいを導くには、究極的には読者を詩人にする以外にない。イギリス人が日本語を理解するには日本を理解しなければならないように。そこでは、翻訳と憑依が必要になるはずだ。受け手の知的能動性が介在する。しかし能動性を催すには、その対象に魅惑的きっかけを要する。

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