ノラ論

小学生の頃までは田舎でよくノラ犬を見たのですが、東京に出てきてからは、ノラ猫ばかりです。子供の頃は、自分が「ノラ」との境界が曖昧だと自覚していましたが、次第に飼われている自覚へと移行してきたのです。ぼくの周りにはすっかりノラ人間がいなくなってしまって、いつでも、飼われることに最高の幸せを見出すような有り様なのです。ぼくはといえば飼われながらも、飼い主に裏で舌を出すような不遜な半端者で、いっそノラになれたらなどとぼやいている日々です。子供の頃に読んだハックルベリフィンは、ぼくの憧れだったけれど、困ったな、ぼくはおじさんになってきちゃった。どこに幸せを置けば良いのだろう。そんなことをあれこれ考えるものの、すぐ投げ出して、夢中で絵を描くこの頃です。絵を描くのは、子供の頃と変わりません。ノラか飼われ身かなんてどちらでも良い。ただ、ひたすら、自由にイメージが投影されていく筆致が欲しいだけです。

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