オートマチック

ネタ探しをするようになったらお終いだと思っています。何を書くかということを考えずに、できる限り見切り発車で書いていこうとしているんです。それは詩はもとよりエッセイみたいなのも。こうして書いているすべては推敲などせずに、がああと殴り書きを眠る前の何分かでやるのです。もはやこれは習慣なのですが、自分の魂を自然に言葉に乗せて意見するようなある種の儀式なのです。もし、プラモデルを作るように青写真に向けてパーツを細々と作って、結合して文章を組み立てていこうとするならば、早々に、ぼくの潜在意識は言葉に乗るのに飽きてしまい、どこかに行ってしまうと思います。絵もやはりそうなのですが、描き始めたら、その流れで良くても悪くても、最後までひと連なりに描ききるほうが良いというのが持論です。この際、整合性云々は後まわしで、とにかく、テキストや線の流れで自分の魂を象るようにすると、それが出来そこないのものでも、何処か捨てがたい見どころが生まれるものです。これはおそらく、時間が分断されないことで、その瞬間の空気を保存出来るからだと思っています。もし、これが翌朝読み返してうんざりするものではなかったなら、それには一定以上の価値を与えています。こういう開けてビックリのやり方は決して褒められたものではありませんが、もうかれこれ14年くらいやっているのです。ところで、あれを書こうこれを書こうという構想はいつもたくさんありますが、時々、書くネタを他に求めるくらい何も思いつかない時もあるのですが、やはりこの場合も、敢えてネタは探さずに、取り敢えず一行でも良いから、適当な思いつきを捻り出して書くようにしています。そうすると、例の習慣のルートに乗って、魂が勝手にそのテキストから続きを書き始めてくれるのです。こういう即興における、アイデアを呼び出す瞬発力を踏襲することが、自由の練習だと思っているのです。何度も書きますが、この手法は一般的には不適当だと思いますし、博打的で決して褒められたものではありません。いつも、ヘンテコなものを読ませたりお見せしてすいません。そんなものが出来てしまった時は忸怩たる思いでその一日を終えていくのです。おやすみなさい。

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