惰性は素振りにほかならぬ

惰性で、デッサンの線は引けるし、そういう感じでエッセイも作れるけれど、惰性で、詩を書くことはしない。
実のところ、型どおりにスラスラ書こうとすれば、ある程度の技術を持ったひとであれば、誰でも書けるのだと思う。
ただし、詩を帯びるには惰性において、いつでも夢と踊りに連れ立ちながら、不完全性というものを保存するような感覚でいなければならぬのだ。
コトバに触る経験をしたことがあるだろうか?
世界がコトバに押しかけ、コトバが世界を弾くのを・・・。
詩は、宿命的着想そのものだ。
その型さえ同じところから引っ張ってくるわけではなく
型はもとより、内容、韻律、あらゆるものが一回性なのである。
もっとも、ぼくのような凡庸なものは、その一回性が一回きりでは上手くいくことが少ないので、その着想にうまくいくまでアプローチを続ける。
それが結果として惰性になりきってしまった事後なら、そのコトバは半減期をまわり、世界を触る鮮度がなくなってしまっているのだ。
目がさめる前に、生きたまま死んでしまうのは一寸かなしいと思う時がある。

著者