詩が書けないことは悲しむべきことではない。

詩を書けないことは決して悲しむべきことではない。ぼくはずっと以前からもっとよい詩を書きたいと思っていた。けれど書けないことに関しては人が空を飛べないようにある種の諦めに似た感情があった。それは人は空を飛ぶようにはできていないこととそもそも飛ぶ必然性がないことを知るのに似ている。

 

それでも尚、空を飛ぶ夢を見てきたしそのような空想ができることが既にして、人が空を飛ぶための第一歩なのだろうなということは考えてきた。そうやってたくさんの空想をたぐって生きることというのは誰かに頼まれたわけではなくそれが心地よい行為として脈々と続いてきているのだと思っている。

 

ところで詩は、思想であるという考えがある。思想という概念自体あまり詳しくはないけれど「思う」も「想う」も似ているものが連なっている。前者が「認識する」意味が強く後者が「より積極的な祈りとしての行為」の意味が強いように考えている。一方で詩は音楽というフォルムで記されていると思う。

 

シャガールやクレーやデュフィの絵画に音楽が見いだされるように詩に音楽というフォルムが見いだされていくものであるだろうし、音楽には詩という思想が滲んでいるだろうと思う。そういうものはひとしく必然性のある疎通によって運ばれてくるのだろうとも思う。然るべきして表れてきたと思う。

 

必然的に生まれてくるものをただしく表象させることを祝福している状態は、詩も絵画も音楽も同じだと思うしそれにこそ人間としての感受性が喜ぶのだと思う。ぼくにとっては、詩を書くことは爪を切ることと同じで、詩が書けないことは悲しむべきことではない。ぼくは空を飛ぶことができるのだから。

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