排泄として

第三詩集を出したい気持ちが日増しに高まっているが、内容が完全に伴っているわけではない。とはいえ、第二詩集刊行後に書いた詩篇はかなりの数が溜まりそれを精査しても30〜40篇ほど残り分量的には詩集の体をなすところまで来ている。

ぼくには子供っぽい願望があって二十代三部作の最終章として第三詩集を発表したいのだ。遅くなってからでも発表できるが、切りの良いところでさっぱりしたいという欲求が大きいのだ。

いままでもそうだったが、これが遺作だと思って臨んでいる。だから、それ以降のことは矢張り想像できない。

これは、排泄と同じ理屈なのかと思う。うんこや小便のようなものなのだ。創作は。我慢してもいずれはケリがつく。遅かれ早かれ。そして、その時分はそれに意識が奪われるので未来のことなど詳細に描けるものではない。

 

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