第三詩集プロジェクト始動(自分のなかで)(でも、やるといったらぼくはやる)(それだけは決まっている)

詩を毎日書くのは、実はスゴイことで言わば無敵モードといってもよい状態なのだ。それを何か月何年と続けているひとがいるとしたら、そのひとは天才だと言って良いと思う。かくいうぼくは、詩を書けるモードがひと段落して第三詩集を編纂するモードになっている。詩を書くのと詩集を作るのは、似ているけれど使う脳の部位が違うようで、一大プロジェクト感がある。

実際に内容の九割は仕上がっているが、残りの一割が手ごわい。その一割が重要である。リリースするときにはいつでも最高の作品になるようにと尽力するが、どうすれば最高のカタチになるかの感覚が麻痺して錯乱するのが残りの一割の問題なのである。つまり、何が正解かがわからなくなるのである。客観性を持つのが正解なのか、主観を深堀するのが正解なのか、無意識の抜け感に任せるのがよいのか、自分以外の誰かの声に耳を傾けるのがよいか。はたまた、一旦この作業を中断ししばらく距離を置くのがよいのか。置かないで勢いにまかせるべきか。

迷いだせばきりのない話で、この迷いに足踏みをするということは、九割出来ているとうそぶいて見えても、もしかしたら一割も出来ていないような状態なのではないか?ととてもこわくなったりする。

だが、自分のなかで答えはあって、時間を使えばよいものではないし、むしろカタチを望むのであれば、その鮮度からいって大変に時間と感性との問題なのだと考えている。

著者