ことばが苦手な詩人のルーツとは

ぼくは詩を書いていて、詩人ということになっているけれど語学が苦手で昔から人と話すのもまわりに比べていつも劣っていたし今も劣っている。国語も英語も不出来でうまく言葉を使いこなせないし、その上、筆不精で手紙やメールの返信さえままならない。人より20年ほどそのあたりの発達が遅れている。

ぼくはいわきの人間だが、父は弘前、母は東京の人間で標準語で育てられた。はじめて自分の言語力の弱さを自覚したのは地元の友達との会話で方言が使えなかったことだった。訛りができないのは不便だった。その時の自分の考えでは、人それぞれ声が違うように喋り方も人それぞれだと思っていた。(当たり前のことだけど)でも、それはレイヤーが違っていて、人それぞれの声が違ったり、喋り方が違う基本的なレイヤーの上に、イントネーションとか思考力とか対応力とかさまざまな後天的な段階があるのである。

弘前で過ごすことが年に何回かあり、林檎をよく食べた。食卓に盛り付けられた林檎と、ダンボールに敷き詰められた林檎は異なっていると感じていたし、畑の木になっている林檎もそれらとはまた別物に思えた。はたまた林檎ジュースやアップルパイも、林檎ではなく林檎ジュースであり、アップルパイであると思っていた。

幼稚園や学校では林檎はapple だと教えられた。林檎はappleなのだと。しかし、不思議なことに、そのものを「林檎」と名辞されると、それは「林檎」のイメージになるし、そのものを「apple」と名辞されると、それは「林檎」のイメージではなく「apple」のイメージを想起させた。

つまり、林檎という言葉には林檎という言葉の持つイメージが孕んでいるし、appleにはappleという言葉の持つイメージが伴っていて、それが完全なイコールになることはなかった。

まず、初歩的なところで躓いていて、そこで感じる違和感のようなものが、おそらく詩を書く人間としての出発点になっていると思っている。

それは地元民でありながら地元の方言を話せない違和感とも相まって、地元民のアイデンティティを自分は持ち合わせていない疎外感に似た感慨もまた然りである。

自分のルーツは、周囲への同化ではなく、周囲との相違の自覚からはじまり、誤魔化しきれない不器用で原始的な、本来性への想起が、足どりゆっくり自分自身の言葉の創造へと転じていったと考えている。

 

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