テキストで裁かれたい

西荻窪にポエラボというイベントに行ってきた。ポエトリーリーディングをやっている人、詩とクラブミュージックの融合したようなスタイル。朗読する人もいた。

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この手のスタイルは、テキストを声によって届ける臨場感、その場の空気を支配する音楽的パワー、ジェスチャー、韻を踏む遊び心と即興性によって加熱する。とても刺激的で面白かった。

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自分のやっているスタイルとの違いに衝撃を受け、こういう詩の活動もあるのだと認識した。

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一方で、ぼくのやろうとしていること(やろうとしていること)との違いを明瞭り認識した。

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詩で扱う領域がそもそも違うというのもそうだが、そもそものスタンスが異なるのだろう。

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つまり、テキスト含めたパフォーマンスによって表現するか、テキストのみによって表現するかの根本的な分野の違いである。

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ぼくは、ここ五年ほどはテキストで勝負しており、テキスト以降つまりテキストの運用については管轄外であった。

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ポエトリーリーディングとは、パフォーマンスする人間にテキストが帰属する表現だ。

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要するに、テキストは服であり、朗読者は服を着たモデルである。

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そして、その服の良し悪しは殆ど、モデルに帰属しているので、その時点でモデルの一部になり或いはモデルそのものに同化する。服ではなく、そのモデル本人というパフォーマーそのものが価値になる。

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一方、テキストで勝負する者は、テキストによって裁かれる。作者がテキストに帰属する。テキストそのものに価値がある。

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つまり、詩人とパフォーマーは、レイヤーが異なる。

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詩人は、第一的発現、パフォーマーは第二次的運用(伝えることに特化した物理的なアウトプット)である。

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懸念されるのは、ポエトリーリーディングは、音楽に半ば取り込まれて、ラップの歌詞との差異が曖昧になること。もはや思想の歌詞をつけたビートのドリブルである。

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ファジーな領域だが、世間に間口が開いているのは音楽であるならば、単純な詩よりもパワーを持つのは明白である。

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だが、それをやるなら、ポップソングやロックンロールなど、歌詞とメロディー

を緻密に融合させて届けるマーケットのほうが遥かに間口も広く、高度なパフォーマンスにも思えてくる。

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目下、ぼくの現状の取り組みは、その手のものと一線を引いて、テキストのみによる可能性の追求であるから、とても地味な営みだと思う。

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ぼくは、設計図を書いているのである。

著者